BLOG 日記

Manoについて

本日は、横浜・二俣川クラスでした。
横浜スタジアムで野球の試合があったようで、帰りの電車がカープカラーで華やかに埋まっていました。
さて、今日のクラステーマは、Manoでした。手です。
何か特別な指定がない限り(それからテクニカのクラスも除いて)、振付の中で手首や手の動きを指示されることは滅多にありません。これは、手の表情が顔と同じくパーソナルな、個性の表現部分だから、とも言われ、私自身思い起こしてみても、日本のクラス、スペインのクラス同様、特別な指定以外、実際言われたことがない部分です。
個性を活かしてほしい、という想いで、今までクラスの中でもとりわけテーマにしたことのない部分でしたが、最近、各クラスとも曲が仕上がってくるにつれて、どうしてもブラソやマノが気になってしまい、今日改めて取り上げてみました。
手も顔も、無理に作る必要は何も無く、自然な表現で構わないのはもちろんなのですが、では、自然とは何でしょう、、、
ブラブラと道を歩くようなブラソとマノが、果たしてフラメンコの舞台で自然に観えるのか、、は観て下さる方の主観にもよるでしょうし、作品として美しい次元に達していたら、それはアルテとなるわけですが、クラスの中で浮き彫りになっているマノは、それとは別です。
ここからは特に私の主観が入りますが、
リズムやメロディー、コンパスを発しているのは、足だけではない、ということを良く意識してほしいです。
バタやマントンのクラスにご参加の方々には、耳タコなお話でしょうが、足以外の実際に音を発しない部分こそ、内側の耳を傾け、音を形にしなくてはならない部分なのです、そしてそれがバイレだと思って、私は伝えています。
素敵な踊り手さんが、内から湧き上がる様なコンパスを発したり、全身全霊でカンテと共鳴するようなエネルギーは、サパテアードからだけではないですよね。
そして、さらには音やコンパスだけでもありません、内から湧き上がるのは、その人のハートやメッセージであったりもします。
まず身体同様、手や手首が足の音と同じ音楽を、同じコンパスを奏でているか、、
もし一致していなかったら、共鳴できるまで手に意識を向けて踊り込んでみてほしいです、
意識はとても大事です、指の先までエネルギーを巡らせるように、自分の手先の感覚を探しながら。
そうやって、まだ共鳴していないパーツを音楽にしていくことののちに、その人のハートがにじみ出る様な、豊かな踊りになっていくんだと思います。
生徒さんたちには、残りわずかな発表会までの時間を、一皮も二皮も向き出るつもりでそれぞれ自己開拓してもらいたい!と願っています。。



ページトップへ