帰国して、あっという間に2週間経ちました。
コンクール出場の為の12日間のスペイン滞在は、とても濃厚で、実りあるものでした。
先に結果を言ってしまうと7/4発表のファイナル出場者に、私の名前はありませんでした。
悲しい、というより、スッキリしたかな。これでまた1年かけてCadizの舞台で舞うことを目標にがんばれるな!と思いました。
でも、今回は、本当にすごかったんですよ!(笑)
もちろんまだまだ課題はありますが、みんなのおかげで、私1人では到底成せなかった、素晴らしい舞台になりました。
今回のメンバーで、舞台にいた瞬間が幸せで、エネルギーに満ちていて。
ああ、思い出すと、なんだか涙がでてくるな。。
この旅を記憶を書きます。
今回もドバイを経由し、マドリッドからAVEに乗り、日本から約24時間かけてセビージャに着きました。
宿泊は、大親友Adiのピソに泊めてもらいました。彼女は、メンタル面でもたくさん私を助けてくれました。練習やらなんやらと、日本時間でぐるぐる動き回ってる私を見て、”ゆかり、全部を完璧にこなさなくていいのよ。人生は楽しむもの、そのためには、時々ぼんやりとソファーに寝転んだり、何もやらない時間も必要よ。ほら、これ飲んで。”と、お手製のフルーツミックスジュースを差し出してくれました。彼女の言葉が、アンダルシア時間で自分が生きていたときの感覚を呼び起こしてくれました。
ムシコ(演奏者)とのエンサージョ(リハーサル)も1回1回がとても充実していました。。
ギターはMiguel Perez、カンテ(歌)はJeromo SeguraとJesus Corbachoという錚々たるメンバー。まずこの3人のスケジュールが一致しただけでもすごい!のに3回にわたってエンサージョが出来たのも奇跡。幸運に恵まれ、彼らの素晴らしいアルテ(芸術)とエネルギーを受け、Alegrias(コンクール課題曲)はみるみる変化し、ひとつの新しい作品として完成させていきました。
その過程の中で、削除される振り付けや、新たに作らなくてはいけない部分も出てきました。
練習室にこもって、その部分を何度も練り直し、録画して自分の動きを何度も確認しました。
とにかく夢中で振りを仕上げ、Aliciaのスタジオに行きました。
敬愛するわが師匠、Alicia Marquezの個人レッスンで、彼女の助言を受けるためです。
“Alicia~!!””Yukari~!!”
きゃ~きゃ~言いながら再会を喜び、事情はすべて話してあったのでそそくさと着替えました。
“それで、何が今必要なの?”というAliciaの問いかけに、不安だった2箇所を説明し、最初から通して踊ってみました。踊り終えた後、Aliciaは
“ゆかり、あなたの振り付けはとてもいいわ。でもね、もっと落ち着いて。そんなにいろいろ考えないでいいから、落ち着いて、顔をあげて踊りなさい。そして、悲しい顔をしないで。あなたの笑顔でお客さんを引き付けなさい・・・”
スーっと肩の力が抜けていきました。その後、振りやテクニックについてさまざまな指導をいただき、本番当日、Cadizに向かう前に挨拶に来ます、と約束してスタジオを出ました。夜の8時半過ぎでしたが、まだ日が高くて、きれいな空でした。
その翌日、私の様子が変わったことに、ギターのMiguelはすぐに気付きました。
本当に、Miguelはすごい。
その上で、調整を加えて、最終エンサージョが終わった。
本番当日。
Guapaな笑顔で踊れるよう、しっかりと睡眠をとった。ゆっくり朝食をとり、散歩しながらアラメダを抜けてAliciaのスタジオに着いた。
“Hola!”
彼女の笑顔は本当に素敵だ。いつも、優しい愛に満ち溢れている。
挨拶を交わし、話し終えた別れ際に、彼女がぎゅ~っと抱きしめてくれた。
その胸から、彼女の優しさと、私に送ってくれているエネルギーが、ひしひしと伝わってきた。涙が溢れそうだったけど、笑顔で行ってきますを言う為に、ぐっとこらえた。
こんなにも、私の背中を押してくれる人がいる。
こんなにも、私に愛を注いでくれる人がいる。
私、踊らなきゃ。スーパーアレグリアなアレグリアス、踊らなきゃ!!
大事な人のためにも、自分のためにも、全力で踊りたい。
本番への揺ぎ無い想いがみなぎってきました。
午後、カンテのJeromoの車でCadizに向かいました。
Sevillaから高速道路で1時間半、Cadizの入り口Puerto de santa maria の辺りから視界に碧い海が広がってくる。
あ~、海だ、海!今年も私、Cadizに戻ってきたんだ・・・
コンクール会場、Perlaについた。足を踏み入れると、懐かしい想いでいっぱいになる。
スペインに住んでいたときはSevillaだったため、数える程しか来ていないのに、ここに来るとほっとするし、何よりみんなとても温かい。よく来たよく来た!と温かく迎えてくれ、せっかく来たんだ、存分に楽しみなさい!必要なことがあったら何でも言いなさい、飲み物は?食べ物は?と、まるで久しぶりにあった親戚のおじさんおばさん達のよう。ほんとにみんな明るくって元気!なんだかおかしくって、自然に笑ってしまった。
やいのやいのと言ってるうちに、くじ引きの召集がかかった。踊る順番を決めるためである。
1番だと思うよ、と既にムシコの3人には、車の中で伝えてあった。
予想的中、くじには、”1”と書いてあった。30分後は、もう舞台にいる。
すごく冷静に化粧をし、着替え、騒がしい楽屋を出て、海を見に行った。
日が沈み、まだかなたに夕焼けのオレンジ色がうっすら残って、海に色を落としていた。灯台の明かり、丸い天井のカテドラル、波の音、衣裳のフレコを揺らす風。
Cadizにいる。Perlaにいる・・ 踊りたい。
私のアレグリアスを踊りたい!!!!!!!
“ゆかり、始まるぞ” Miguelに呼ばれて舞台袖に戻った。
3人は、先に舞台に入り、Jesusが目配せしながら、マントンを置く椅子を準備してくれた。
アナウンスが始まる。
袖には私と、袖幕を開けてくれるEl Junco(Cadiz出身のフラメンコ舞踊家)のお母さん。
彼女は、”あなたが楽しみなさい。あなたが楽しいものは、お客さんが観ても楽しいのよ。”と言った。
Miguelのギターが響きだす。”Ahora”と言って、袖幕を開けてもらい、ゆっくりと舞台に出る。
Jeromoがリブレで歌いだす。レトラをかみしめるように聴きながら、客席を見渡した。
後は、私が楽しむだけだ!そんな言葉がそのまま形になったように踊りだした。
一つ目のきめの後、”Ole!!”という観客の大合唱が飛び込んだ。私は思わず、微笑む、というよりAh!と声を出して笑った気がする。夢中で踊りながらも、飛び込んでくるハレオ(掛け声)にさらにエネルギーをもらい、そしてそれは私だけでなく3人のムシコたちも同じで、彼らもものすごいパワーで演奏してくれる。そのボルテージがすごくて、楽しくて、最高で、その瞬間瞬間を感じながら踊った。
今振り返ってみても鳥肌が立つ。
踊った後、というのは、必ず何かしらの後悔がいつも付きまとう。
でも今回は、違う。
超ー楽しかった!!!!!!
もしかしたら、舞踊家生活15年目にして、初の感覚かもしれません。
ということは・・・
フラメンコ舞踊家としての本当の私は、今、このカディスのコンクールから始まるのかもしれません。
Viva Cadiz! Viva Yo!
これからの人生、いっぱい楽しいことに挑戦できるということ、もっと楽しい自分のフラメンコを追及していけるということ、これからが、本当に楽しみです。
後日Miguelとメールでやり取りしたときに、
“ゆかり、もうわかってるだろ、コンクールとはこういうものだよ。”とコンクール裏事情で結果が左右されることを哀れんでいる文面を目にしたとき、分かっていたけど、ぶわーっと涙が溢れてきた。でも、そんなお世辞?抜きにしても、時じゃなかったんだと思う。もっと力をつけて、もっと魅力的になった時に、その”時”が来るのだと思う。その日が来るまで、何度でもCadizに戻る。だって大好きだから。
来年のコンクールもあなたの助けが必要だからね!とMiguelにメールした。