BLOG 日記

旅の締めくくり、、ペルラ出演。

帰国前最後の金曜日、カディスの地で踊りました。
3/11、日本人である私たちにとって特別な日でした。色んな想いを込めて踊らせて頂きました。。


シギリージャをマントンで。


アレグリアス。

前日にピリーから受け取った、新しいバタデコーラ。

予備で準備していたコラル色のバタより30センチ近く長く、今まで持っているバタの中でも1番長い、2メートル超えで仕上がってきました。
セビージャで試しにスタジオで動いてみた時は、4方向全ての壁や鏡にあたってしまい、正確な動きが把握できなかったのですが、翌日カディスに着くと、なんだが風の中を泳ぐように動いてくれたので、本番でも着用しました。

日本でも自身のソロ公演は、年に一度あるかないかですが、カディスで単独のアクタシオンが出来る日が来るとは、本当に感無量です。
いつも温かく迎えてくれる地元の方々、ペーニャの方々、フラメンコの仲間たち、そしてこの海と風と大地に、感謝せずにはいられません。。

慣れた楽屋で1人準備するのは、いつも大人数で鏡の前を分け合うように使っていた、コンクールの時とはまるっきり違う静けさ。
何年振りでしょう、、
つけまつげを付ける自分の手が震えているのを見て、深く深く深呼吸してから、舞台に上がりました。

500人ほど収容出来る会場は、満員御礼。
熱心に足を運んで下さることに心から感謝、感謝です。。


共演者とともに。
左から
ギター Juan Ram?n Ortega
パルマMiguel Fern?ndez
中央は私
カンテ Selu del Puerto
パルマ Naim Real

カディスの風をまとった彼らのコンパスは、気持ち良いくらいにピタッとしたフィット感があって、、
なんて言ったら良いんだろう、本当に自然に、自分の中からアレグリアスが湧き上がってくるような感覚。力まず、自然な。
波打際を小走りするような、、
彼らムシコのエネルギーに押される、というより、風の上に、一緒に乗っているような、そんな感覚。

いつかこのアイレを、みんなと一緒に日本に持っていくことが出来たら良いな、と願っています。

公演終了後、楽屋から出た途端に、地元のセニョーラたちとの大騒ぎの撮影会。
私にも実際の故郷がありますが、自分の田舎でこんなに大勢の地元の方々に迎えられたことはありませんし、単独公演もまだ出来ていません。
みんなの温かさや愛情に、本当に、心から感謝でした。

翌朝、電車の時間まで、真っ青な空と海に向かって、カテドラルの脇の坂を、足の裏から地のエネルギーを感じながら、踏みしめ、歩いていると、なんだか自然に、ホロホロと涙がこぼれていました。悲しくて泣けたのではなく、内側から感激していたように感じます。

ここに戻ること、
この風を感じること、

私のアレグリアスは、何年もペルラの舞台に立ちながら、ここに戻りながら、この地に育ててもらったんだと感じます。

明るく陽気なだけではない、悲惨な時代からはい上がった歴史を持つこの場所。
カディスのアレグリアスは、海や風の軽やかさだけでなく、人々が苦しみから立ち上がった、希望や光なのだと言われます。
その地で、毎年毎年、色んな想いを込めて踊り続け、その風や、海や、みんなの愛情に育まれ、、去年はグランファイルに繋がり、今回こうしてアルティスタとして呼んでもらえるようになり、、
今の私があることに、心から感謝いたします。

ささやかではありますが、
これからも、いつまでもアレグリアスデカイを踊り続け、国境を越えて、みんなの希望や光への架け橋になれたらと、願います。

さあ、もう直ぐ日本です。



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