BLOG 日記

小島先生の舞台

昨夜は、小島章司先生の作品をビジャマルタ劇場に鑑賞に行きました。

今回、小島先生の公演以外は全てスペイン人の公演ですので、改めて日本のフラメンコの歴史が他の国とは違うという重みも感じます。
その長い歴史の先駆者として、スペインに渡り、日本にフラメンコを土着させてくれた方の1人が、小島章司先生です。

こんなにフラメンコの舞台で泣いたのは初めてでした。

泣けて泣けて、、帰り道もポロポロと涙がこぼれて止まりませんでした。

舞台作品名は、
A este chino no le canto
この中国人には、歌わない。

小島先生がスペインに渡り、今に至るまでの生き様を描いた作品でした。

こんなに日本のフラメンコが豊かになった、今でさえ、外国人の私たちがこのスペインの地を踏み、この地で生まれ育ったフラメンコを手に入れようとすることは果てしなく遠く、時に苦しみを強く伴います。
愛してやまないのに手の届かないフラメンコと格闘するだけでも大変なのに、見た目が違う、つまりアジア人ということだけで、道でからかわれたり、心無い言葉を浴びせられたりすることは、残念ながら今でも時よりあります。

A Este chino no le canto
この中国人には歌わない。

実際に小島先生が、在住時代ダブラオの歌い手に言われた言葉だそうです。
時代はフランキスモ、フランコの独裁政権で硬く閉ざされていた時代のスペインに、1人で渡り、孤独と闘いながら、踊り続け、舞台前に浴びせられたその言葉。

その光景を再現したシーンがあり、、
カンタオールからそのセリフが発せられた時、なんと信じられないことに、今の、この時代の、この劇場からも笑いが起きたのです。
舞台に1人立ち尽くす日本人舞踊家。
そこにミゲルポベダが登場し、ラビア、ラビア、と強く憤るように歌いだした時、号泣してしまいました。。
ポベダは、ラストシーンでも再び登場し、歌ったのですが、この時小島先生は、表現の一部として舞台上で仮面をされていましたが、ポベダの歌に、仮面の下で涙が止まらなかった、と楽屋でおっしゃっていました。

当時のやりようのない孤独を表現した、エバのソレア。。
死という文字を背景に、力強くサパテアードするグランバイラオール、コジマ。

フラメンコは生き様、
生きるために踊り続ける、という御歳76歳の小島先生。
人生の大先輩が舞台で闘い続けるその姿に、心が震えて止まりません。。

もっと頑張らなきゃ、
もっともっと頑張らなきゃ、
もっとフラメンコしなきゃ、

へレスの静かなガジェを、
呟きながら、涙を拭いながら、
家路につきました。。



ページトップへ